外の世界は意外と楽しい

海外経験者のサードプレイスAWAY LOUNGE代表者のブログ

振り返った時に、節々に己の意志を感じられる人生を送りたい。

 休学なんて、したいならばすればいい。海外の大学への編入もしたいならばすればいい。インターンだってすればいい。広い世界を見たいならば行けばいい。誰にもそれを止める権利はないし、後押ししてくれる人は沢山いる。特別なことでもなんでもなく、人生の選択肢の一つというだけ。今、周りにそういう人がいないとしたら、その理由はただ一つ。自分がこれまでその価値観で生きてこなかったから。一度価値観が変わってしまえば、勝手に似たような人が集まってくる。そんなもん。

 

厳しいとはいえ日本は凄い国で、日本国内で最適化されてれば生きてはいける。そしてある程度成功もできる。そんな仕組みがある。地位も名誉も求めなければ、そこそこの暮らしを享受できる。日本がダメになった時にどうするかなんて考えない。なぜなら、これほどの国富を持つ国が潰れるなんて実感わかないから。

 

そんなわけで、既定路線から外れる積極的な理由がない。その既定路線というのは、大学で言えば4年で卒業してそのまま就職というルート。そしてそれが親孝行という価値観がある。

 

少なくとも地元ではそうだった。日本の外を見れば当たり前のことではないけれど、私みたいに地方で生まれて地方で育ち(とは言っても東京から1時間くらいだが)地方の進学校に進みそこから上京した人間は、他の価値観に触れる機会に恵まれていない。都内はいいな。...と思っていた。ところが、上京して都内の高校生の話を聞くとそんなこともないようだった。学校と予備校と家の往復で、彼らの世界はそこで完結している。地方も都内もどこも同じ。そして彼らと触れる人間ー家族、教師などーの価値観は基本みな同じ方向を指向しているため、日本国内でどう生きるか以外の選択肢をリアルに提示できない。

 

日本国内だけで完結する人生もいいと思うし、様々な国の都市を飛び回る人生もいいと思う。好きな人生を選べばいい。「世界に出ろ!!」と声高に叫ぶ人たちにはむしろ違和感を覚える。しかし、私が学生の頃は「人生の選択肢とはこれほどまでに少ないものか」と半ば失望していた。どうやら私は「世界に出ろ!」と言われて「そんじゃ行ってくるわ。」という側の人間らしい。生まれてから大学進学までの間同じところに住んでいたくせに、場所に対する執着よりも、他の場所に対する好奇心が勝ってしまう。

 

幼い頃、「人生は旅だ」と何かで読んだ。旅とは何か。道なき道を進み、未知なる未知(知らない何か。知らない=未知なる 何か=未知)との遭遇を楽しむ終わりなき行程。時に意志を以って進み、時に時代に社会に身を委ねる。積極的に逸脱する必要はないけれども、普通はこうだよねという価値観は大きな目で見たら決して普通ではない。それを念頭に置かなければ、自分だけの人生など送れない。

 

振り返った時に、節々に己の意志を感じられる人生を送りたい。