外の世界は意外と楽しい

海外経験者のサードプレイスAWAY LOUNGE代表者のブログ

【結局あなたは何者ですか】「人に褒められるために」ではなく「ただ自分がしたいから」

2015年9月21日、マレーシアクアラルンプール市内のレストランでブランチを取っていた。ふと思い立ってオフィスから出て、外で作業しようと考えたためだ。 その昼下がり、作業もひと段落したため日記でも書くかと少し回想モードに入った。そのとき、文章が降ってきた。

 

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AWAY(若手日本人向けの海外修行プログラム)の参加者って、就職も起業もフリーランスも放浪もみんな「当たり前に取りうる選択肢だよね」という考えを自分のものにしている人が多いんだろうと感じる。 だから多分、起業したとか○×商事入ったとか外資うんたらとかベンチャー行くとか会社入る前にふらふらしてくるわって人に会った時、「すげー」とか「変人」より先に「なんで」って言葉が口から出るんだろうね。結果変人に落ち着くのが常だろうけれど。

 

海外で働くとか、ビッグネームとか、起業とか、全てが身近にあると感じられるからこそ、その表面上の実績や経歴には大して興味が湧かないのだろう。「つまるところ、あなたは何者ですか」と。こんな空気だからAWAYは居心地がいいのかもしれない。

 

AWAYでは、〜でインターンしてますとか〜大学ですとか〜やってきました。に対して「すごいっすね。優秀ですね」という適当な返答が来ない。これはおそらく、AWAY生の多くはこれまでに遭遇した様々な選択に対して「人に褒められるために」ではなく「ただ自分がしたいから」という理由で判断を下してきた結果なのだろう。

 

何が言いたいかというと、今の所AWAYは私にとって初めて出会った自身を持ってHOMEと呼べるコミュニティーです。

 

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Facebookにはここで書くことをやめている。まとまりがなくなりそうなのと、これ以上は降ってきた文章に対する飾り付けになると感じたからだ。 しかしここはブログ。続きというかなんというかをまた誰に向けてでもなく書かせていただく。

 

羨望、嫉妬。これが私が最も嫌いとする感情ツートップだ。なぜ人はこんな感情を持って生まれてしまったのだろう。手に入りそうで手に入らない憧れは嫉妬に変わり、手に入らなそうな憧れは羨望として目指すことを諦める。 憧れも嫌いだ。何かに憧れている限り、フラットに物事を見れない。大企業に憧れる?その時点でもう他の選択肢は無理。そして大企業に入れなかった瞬間、嫉妬に変わる。

 

無駄な憧れを抱くのは人生の無駄遣いだと考えている。憧れるなら、その憧れの内部にいる人と直接話して「果たして憧れるに足るのか」ということを判断すればよい。でなければその憧れを潰せばいい。憧れなんて、割とあっけなく潰れるもの。そうして憧れが潰れればフラットに判断できるのだろう。

 

自分が憧れている場所にいる人、憧れるものを持っている人に接した際、その人自身が果たしてどうかということは全く関係なくその人をすごいと思うのだろう。盲目。ひん曲がった人でも地位や名声、富を持つ人もいる。可能な限り憧れを潰しておきたい。ドヤ顔で何かを言われても、「で、あなたはどうしたいの。あなたは何者なの」と心からの問いかけとして聞けるように。