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海外経験者のサードプレイスAWAY LOUNGE代表者のブログ

見かけの多様性と中身の多様性とコミュニケーション

マレーシアは言わずと知れた多民族国家。多言語多宗教で、外国人労働者もたくさんいる。パッと見て多様性を感じる。マレーシアはマレー人によって統治され、中華系によって経済が回り、出稼ぎ外国人によって労働力が支えられている。

 

インドはどうか。外国人労働者はほとんどおらず、基本的にインドはインド人によって統治されインド人によって経済が動きインド人が労働市場を支えている。一見多様性がないようにも感じるがそれは見かけの話である。

 

インドは広大な国土と莫大な人口を抱える国家で、一口にインド人といえども多言語国家だ。歴史的にも文化的にも一つの国家とくくるのは難しいものがある。この辺りは中国も同様。

 

インドの多様さは街中にも表れている。バンガロールといえばインド版シリコンバレーと呼ばれ、IT企業の集積地として知られている。貿易センタービルの敷地はかなり整備されており、ショッピングモールやコンドミニアムとの複合施設となっている。ここだけ見るとどこかの先進国に来たようだ。しかし一歩外を歩くと、土埃舞う道路をぱんぱんのバスと牛が走り(歩き)、伝統的な民族衣装サリーをまとった女性の姿も多く見る。

 

インドは経済発展が激しく、10年前と今が混在していると言われている。これも多様性とえよう。生きた時代がちがければ中身は全く異なる。多様性の真の意味とは見かけの違いではなく価値観や考え方の差異を表すのであるから、10年前と今が混在するインドはとんでもなく多様でカオスな国と言える。

 

日本では頭の固い老人と調子乗った若者の対立構造で物事が語られることが多いが、それは世代毎に受けてきた教育や触れてきた情報が違うことに起因しており、かつ世代内ではそのギャップは比較的ないから明確な対立になる。一方のインド。広い国土に広がる格差で平等な教育どころではないだろう。最新のテクノロジーを操る人もいれば、触れることすらできない人までいる。同じ価値観を共有しているグループのセグメントが細かすぎる。そんな中での意思決定は容易ではないはずだ。

 

見かけが多様な国家から中身が多様な国家に来て、コミュニケーションをとるにあたって相手のバックグラウンドを把握することの重要性を改めて感じた。

特に経済発展が著しい国では、宗教や主義、受けてきた教育やその場所、言語、職業、社会階層、経済状況、触れてきたテクノロジーは最低限確認しなければコミュにケーションは成り立たないだろう。